075-611-1454
__ITM_CNT__

『古希の方が生きてきた時代のできごとや流行』お祝い会で盛り上がろう♪Part1

『古希の方が生きてきた時代のできごとや流行』
 お祝い会で盛りあがろう♪Part1

最終更新日・2019月2月11日

こんにちは、花なまえの詩スタッフの藤村です。

スタッフ藤村

スタッフ 藤村

突然ですがあなたは古希のおじいちゃんおばあちゃんのことを
どれだけ知っていますか?
改めて考えてみると、意外と知らないということが多いのではないでしょうか…!
70年分の人生…私達が生まれる前のできごと…なかなか想像しづらいですよね。
今日は、古希の方が生きてきた時代のことを
ふくたろう先生がわかりやすく教えてくれますよ♪
お祝い会でのお話材料として、当日楽しく過ごせること間違いなしです♪

 


 

うさみ

来月 祖母が古希
孫・うさみ

こんにちは先生…!
家族のみんなで予定を合わせて
お祝い会の日取りは決まったんだけど…

お祝い会ではどんな話をしたらいいのかな…?

ふくたろう先生

お祝い博士の
ふくたろう先生

主役はおばあさまですから
おばあさまに関するお話がしたいですよね。
昔なつかしの話などは、どうですか?

うさみ

えっと…そうね…
でも… あたしも、いとこも全員平成生まれで
みんなおばあちゃんの生まれた年はもちろん
昭和の時代のこともあまり知らないと思うの…

ふくたろう先生

うさみちゃんとおばあさまほど年齢が違うと
そうなっておかしくないでしょうね。
では私が、古希生まれの方が歩んでこられた年に
何があったのかをレクチャーしましょう♪

うさみ

ありがとう……!

1・古希の方が生きてきた時代

ふくたろう先生

平成31年(2019年)に古希を迎えられるのは、
満年齢で昭和24年(1949年)生まれ、
数え年で昭和25年(1950年)生まれの方々です。

満年齢で70歳 数え年で70歳
古希 古希
昭和24年生まれ
丑(うし)年
昭和25年生まれ
寅(とら)年
うさみ

生まれた時は
どんな時代だったの…?

ふくたろう先生

昭和24年(1949年)といえば、
終戦から4年がたったものの連合軍による占領状態が続いている時代で、下山事件や松川事件など不可解な事件が発生していました。

うさみ

戦争が終わったばっかりの頃なのね……

ふくたろう先生

また25年(1950年)は朝鮮戦争が勃発した年になります。
同じ民族同士で争う悲惨な戦争でしたが、日本はこの「朝鮮特需」により戦後経済の復興が進みました。

うさみ

まだまだ大変な時代が続いていたのね…

ふくたろう先生

また、24年の出生数は約269万6千人と史上最高で、22年からの3年間は第1次ベビーブームの時代といわれ、この時期に生まれた人たちは「団塊の世代」と呼ばれています。
 
25年も若干減少したものの約233万7千人で、
平成になってからの出生者数は年に110~120万人で平成17年以降は110万人を下回っていますから、今に比べるといかに多いか分かりますよね。
この団塊の世代は、その膨大な人口のため、時代時代で日本の政治、経済、文化に大きな影響を与え続けてきました。

うさみ

少子化の今の時代とはゼンゼン違うのね…

ふくたろう先生

子供時代は、50~60人が1つの教室で学ぶ「すし詰め」教育も珍しくなく、1学年10クラス以上の学校も当たり前でした。
 
この時代、大学進学率は15~20%と低く、多くは高校卒業や中学卒業で就職し、地方から大都市へと集団就職する彼らは「金の卵」と呼ばれ、その後の日本経済の成長を支えました。

うさみ

新しい日本を作りあげていった世代なんだね…!

ふくたろう先生

そうですね。
政治的には大学改革やベトナム戦争反対など反体制的な学生運動が盛んになる一方、文化的にはジーンズやミニスカートなどのファッション、グループサウンズやフォークソングなどの音楽、パルコ文化やアンノン族など新たな若者文化を作っていきました。
 
昭和62年(1987年)から平成3年(1991年)のバブル景気の時代には、30代後半から40代前半の働き盛りとして経済をけん引するとともに、バブル崩壊後の厳しい時代にあっても、いわゆる「企業戦士」としての圧倒的パワーで
日本を支えてこられました。

うさみ

おばあちゃんもおじちゃんもかっこいい…!

ふくたろう先生

今年古希を迎える皆さんが、61~62歳になった平成23年(2011年)に東日本大震災福島原発事故が発生し、我が国も新たな転換の時代を迎えています。
まだまだお元気な皆さんに知恵と力を貸していただきたいと思います。

うさみ

そうね…!

ふくたろう先生

次は生まれ年のニュースを紹介しますよ。
うさみちゃんのおばあさまや、モニターの前のあなたの
おじいちゃん(お父さん)、おばあちゃん(お母さん)が
生まれた年ってどんな出来事があったのでしょうか。
 
難しい話はさておいて、明るいエピソードを中心にまとめてみました。

2・古希の方が生まれた年のできごと・流行

昭和24年(1949年)
湯川博士にノーベル物理学賞

この年、日本の理論物理学者である湯川秀樹(ゆかわひでき)博士が日本人として初めてノーベル賞を受賞しました。

お年玉付年賀はがきの販売開始

1949年12月1日に、今ではおなじみのお年玉付年賀はがきが発売されました。お年玉くじの付いた年賀専用はがきというアイデアは、民間からのもので、当時の郵政大臣などに何度も直談判して採用してもらった末の実現となったそうです。

5円玉が穴の開いた形へと変更

1949年8月1日にデザインが穴の開いた形へと変更され、図柄も現在の稲と水のものになりました。1949年の五円硬貨は無穴のものと両方が存在しています。

ヒット曲「青い山脈」「夏の思い出」

この年「青い山脈」「夏の思い出」「長崎の鐘」「三味線ブギウギ」「トンコ節」などがヒットしました。

生まれた有名人

この年生まれた有名人に、矢沢永吉さん、村上春樹さん、ガッツ石松さん、ツイギー、高橋真梨子さん、松田優作さん、南こうせつさん、武田鉄矢、Mr.マリックさんなどがいらっしゃいます。

うさみ

お年玉年賀はがきは毎年わくわくするわよね・・・
民間からのアイデアだったなんておどろきだわ・・・

昭和25年(1950年)
満年齢と数え年

「年齢のとなえ方に関する法律」が施行され、満年齢を用いるようになった年です。
旧暦時代の日本では「数え」で年齢を計算しており、明治になって西洋にならって満年齢を採用したものの民間では数え年が続いていました。数え年では生まれた時は1歳で元日に1つ歳を取るという計算をします。
そこでお正月は家族みんなが一緒に歳を取ったことを祝い、個人の誕生日を祝うという習慣はありませんでした。
ただし数え年がまったくなくなった訳ではなく、古希や喜寿など長寿の計算では数え年と満年齢がどちらも用いられており、「花なまえの詩」でも両方の年をご案内しています。

ミス日本コンテスト

第1回ミス日本コンテストが開催され、昭和を代表する美女、山本富士子さんが栄冠に輝きました。
第2回は昭和27年(1952年)で、その後中断し、昭和42年(1967年)に復活し現在に続いています。
ちなみに平成4年(1992年)のミス日本は平成を代表する美女、藤原紀香さんです。

マザー・テレサ

1910年現在のマケドニアに生まれたマザー・テレサがインドのカルカッタで「神の愛の宣教者会」を創立した年です。
カトリックの修道女である彼女は、ヒンズー教徒、イスラム教徒など宗派を問わず貧しい人、重い病の人たちを献身的に支えました。その活動は全世界に広がり、彼女は1979年にノーベル平和賞を授与されました。

チャタレイ夫人の恋人

話題になった本では、ローレンス作、伊藤整訳の「チャタレイ夫人の恋人」が発売されましたが、警視庁からワイセツ文書として摘発されました。
映画では、ガラスごしのキスシーンが話題となった「また逢う日まで」、ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した黒澤明監督の「羅生門」、海外の作品ではイタリアの「自転車泥棒」などがあります。
また「夜来香(山口淑子)」「桑港のチャイナタウン(渡辺はま子)」「白い花の咲く頃(岡本敦郎)」「東京キッド(美空ひばり)」などが流行しました。

生まれた有名人

この年生まれた有名人は、歌手のジュディ・オングさん、和田アキ子さん、八代亜紀さん、イルカさん、細川たかしさん、梅沢冨美男さん、俳優の舘ひろしさん、萩原健一さん、神田正輝さん、女優の由美かおるさん、ドリフターズの志村けんさん、ジャーナリストの池上彰さん、漫談の綾小路きみまろさんなどがいらっしゃいます。
また海外ではスティーヴィー・ワンダーさんもこの年の生まれです。

うさみ

この頃に満年齢の法律ができたのね…
それまで数え年が普通だった人は、すぐに受け入れられなかったかもね…

ふくたろう先生

 

そう♪今は当然のことでも当時は革新的なことだったのです。

他にも色々なお話を用意していますよ♪
お祝い会当日まで準備も楽しみましょうね♪

うさみ

ありがとう先生…
次も楽しみにしてるわ…!


次の記事を読む:『こんなにおもしろい!古希川柳』お祝い会で盛り上がろう♪Part2


スタッフ