『古希の方が生きてきた時代のできごとや流行』
お祝い会で盛りあがろう♪Part1
こんにちは、花なまえの詩スタッフの藤村です。
突然ですがあなたは古希のおじいちゃんおばあちゃんのことを
どれだけ知っていますか?
改めて考えてみると、意外と知らないということが多いのではないでしょうか…!
70年分の人生…私達が生まれる前のできごと…なかなか想像しづらいですよね。
今日は、古希の方が生きてきた時代のことを
ふくたろう先生がわかりやすく教えてくれますよ♪
お祝い会でのお話材料として、当日楽しく過ごせること間違いなしです♪
こんにちは先生…!
家族のみんなで予定を合わせて
お祝い会の日取りは決まったんだけど…
お祝い会ではどんな話をしたらいいのかな…?
主役はおばあさまですから
おばあさまに関するお話がしたいですよね。
昔なつかしの話などは、どうですか?
えっと…そうね…
でも… あたしも、いとこも全員平成生まれで
みんなおばあちゃんの生まれた年はもちろん
昭和の時代のこともあまり知らないと思うの…
うさみちゃんとおばあさまほど年齢が違うと
そうなっておかしくないでしょうね。
では私が、古希生まれの方が歩んでこられた年に
何があったのかをレクチャーしましょう♪
ありがとう……!
1・古希の方が生きてきた時代
令和6年(2024年)に古希を迎えられるのは、
満年齢で昭和29年(1954年)生まれ、
数え年で昭和30年(1955年)生まれの方々です。
生まれた時は
どんな時代だったの…?
昭和27年(1952年)は条約が発効した年で日本は敗戦で失った主権を回復しました。
ただし、沖縄、小笠原諸島、奄美群島はアメリカの施政下に残され、沖縄が本土復帰したのは20年後の昭和47年(1972年)になります。
大変な時代が続いていたのね…
また、出生数は26年が約213万7千人、27年が約200万5千人と、22年~24年の第1次ベビーブーム時代に比べると減ってはいますが、200万人を超えています。平成になってからの出生者数は年に110~120万人で、昨年令和2年は90万人を下回っていますから、今に比べるといかに多いか分かりますよね。
この世代は、その膨大な人口のため時代時代で日本の政治、経済、文化に大きな影響を与え続けてきました。
少子化の今の時代とはゼンゼン違うのね…
小学生だった昭和39年(1964年)には東京オリンピックが開催、また6年後の昭和45年(1970年)には大阪で万国博覧会が開催されるなど我が国は先進国としての地位を再び固めていきます。
新しい日本を作りあげていった世代なんだね…!
そうですね。
昭和62年(1987年)から平成3年(1991年)のバブル景気の時代には、30代後半から40代前半の働き盛りとして経済をけん引するとともに、バブル崩壊後の厳しい時代にあっても、いわゆる「企業戦士」としての圧倒的パワーで
日本を支えてこられました。
一方、車、家電製品などの製造業、スーパーマーケットなどの流通産業、外食産業など戦後の日本経済の成長は、消費者としての彼ら彼女らの世代によるものとも言われています。
おばあちゃんもおじちゃんもかっこいい…!
今年古希を迎える皆さんが、50代後半になった平成23年(2011年)に東日本大震災と福島原発事故が発生し、今またコロナウイルスの蔓延により我が国も大きな転換の時代を迎えています。
まだまだお元気な皆さんにご自身の健康にご留意されるとともに、令和新時代を生き抜く知恵と力を貸していただきたいと思います。
そうね…!
次は生まれた時代のニュースを紹介しますよ。
うさみちゃんのおばあさまや、モニターの前のあなたの
おじいちゃん(お父さん)、おばあちゃん(お母さん)が
生まれた年ってどんな出来事があったのでしょうか。
難しい話はさておいて、明るいエピソードを中心にまとめてみました。
2・古希の方が生まれた時代のできごと・流行
NHK紅白歌合戦
記念すべき第1回紅白歌合戦が1月3日のお正月番組としてラジオでスタートしました。
紅組は渡辺はま子など7名、白組は藤山一郎など7名で、初優勝の栄冠は白組に輝きました。
ちなみに1953年の第4回紅白歌合戦からテレビの本放送に伴い大晦日の番組としてスタートし現在に至っています。
民間ラジオ放送局の開局
日本初の民間ラジオ放送局として中部日本放送(現 CBCラジオ)と新日本放送(現 毎日放送ラジオ)が開局しました。
これにより、日本初のラジオコマーシャルとして「精工舎の時計がただいま7時をお知らせしました(服部時計店)」、初のコマーシャルソングとして「僕はアマチュアカメラマン(作詞作曲 三木鶏郎、歌 灰田勝彦、小西六写真工業)」が流れた年でもあります。
歌のない歌謡曲
ラジオ番組と言えば現在も平日の朝に放送されている「歌のない歌謡曲」がスタートした年でもあります。
現在は全国37局で放送され、担当するパーソナリティや放送時間が局により異なる企画ネット番組で、番組スポンサーはパナソニック(旧松下電器産業)1社です。
カルメン故郷に帰る
話題になった本では「新・平家物語(吉川英治)」「三等重役(源氏鶏太)」「山びこ学校(無着成恭)」「浮雲(林芙美子)」などがありました。
映画では初の総天然色映画「カルメン故郷に帰る(監督 木下恵介、主演 高峰秀子)」がヒットしました。
また「上海帰りのリル(津村謙)」「野球小僧(灰田勝彦)」「高原の駅よさようなら(小畑実)」「雪山賛歌」などの歌が流行りました。
生まれた有名人
この年生まれた方は、歌手の五輪真弓さん、山本リンダさん、ピンキーこと今陽子さん、あべ静江さん、伊勢正三さん、俳優の中村雅俊さん、桃井かおりさん、漫画家のあだち充さん、小説家の浅田次郎さん、プロゴルファーの岡本綾子さん、漫才のオール巨人さん、落語の笑福亭鶴瓶さんなどがいらっしゃいます。
また海外ではイギリスの女優オリビア・ハッセーさんもこの年の生まれです。
紅白歌合戦の第一回目!ずっと続いているのね…
初優勝は白組だったのね…
君の名は
NHKラジオで放送されたラジオドラマで「番組が始まる時間になると銭湯の女湯から人が消える」と言われるほどの人気を博しました。その後映画化もされ、真知子役の岸恵子のストールの巻き方が「真知子巻き」と呼ばれ流行しました。番組冒頭のナレーション「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」も有名です。
ちなみに新海誠監督の長編アニメ「君の名は。」は本作とは関係ありません。
世界チャンピオン
世界フライ級王者ダド・マリノに挑戦した白井義男は、15回判定勝ちで日本人として初めての世界チャンピオンになりました。その後4度の防衛を果たし、敗戦に打ちひしがれた日本人にとってその活躍は希望の星となりました。王座を獲得した5月19日は日本ボクシング協会により「ボクシングの日」に制定されているそうです。
日本初の民間ボウリング場
老若男女が手軽に楽しめ、国体の正式競技種目にもなっているボウリングですが、その歴史は古く紀元前5000年頃には古代エジプトに似たものがあったとされています。我が国では江戸時代末期の文久元年(1861年)長崎に日本初のボウリング場が開設されました。そして1952年12月に日本初の本格民間ボウリング場「東京ボウリングセンター」が東京都港区青山にオープンしました。
二十四の瞳
話題になった本では「真空地帯(野間宏)」「千羽鶴(川端康成)」「二十四の瞳(壷井栄)」「アンネの日記(アンネ・フランク)」などがありました。また「鉄腕アトム(手塚治虫)」が「少年」で連載開始しました。映画では「生きる(監督黒澤明、主演志村喬)」がヒットするとともに、1950年に公開された「羅生門(監督黒澤明、主演三船敏郎)」がアカデミー外国作品特別賞を受賞しました。
また「テネシーワルツ(江利チエミ)」「リンゴ追分(美空ひばり)」「ゲイシャワルツ(神楽坂はん子)」などの歌が流行りました。
生まれた有名人
この年生まれた方は、歌手の中島みゆきさん、小柳ルミ子さん、さだまさしさん、鳥羽一郎さん、吉幾三さん、俳優の三浦友和さん、水谷豊さん、草刈正雄さん、松坂慶子さん、漫画家の秋本治さん、小説家の村上龍さん、作曲家の坂本龍一さん、宇宙飛行士の向井千秋さん、東京都知事の小池百合子さんなどがいらっしゃいます。また海外ではロシアのプーチン首相さんもこの年の生まれです。
ボウリング場は昔からあったのね…!
色々なものが長い歴史を持っているんですよ♪
他にも色々なお話を用意していますよ♪
お祝い会当日まで準備も楽しみましょうね♪
ありがとう先生…
次も楽しみにしてるわ…!
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